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2011
2011.12.22
146,858キロ、地球3周半、今年一年で自分が移動した距離です。

これは直線距離ですので、車移動等含めるとそれ以上になるのかもしれません。
この距離は自ら動いたと言うより、今年関わった仕事が自分を動かせたというのが正確な言い方になります。

日本国にとって2011年3月11日は数百年の単位の中でも、歴史上最も重要な1日となるのでしょう。
大地が軋む音を聞いたのはあれが初めてだったと思います。

皆さんはあの瞬間何をしておられましたか?
僕は都内某所で企画会議の真っ只中、あまりの揺れに会議室を飛び出し、
目の前に見えた林の中に身を潜め揺れがおさまるのを待ちました。
約30分後、何とかその場所から自分の会社に戻り社員および生徒(主宰する演技学校の授業中)の
安全の確認をしました。
全員の安全の確認後は妻と息子の携帯を数分おきに鳴らし、2人の安全の確認ができたのは夕方前でした。

震源地が東北沖という報道に触れ、ある人物のことが無性に気になり、メールを入れました。

「市長、大丈夫ですか?相馬の皆様のことを案じています。」

当日市長と会話ができたのは深夜0時前でした。

「大丈夫!今できることを全てやっている!」

と力強い声が返ってきました。それから二週間毎日メールを一方的に送り続けました。
メールのメッセージはいつも「頑張ってください!」
返信内容はいつも「大丈夫だ!」でした。

3月25日朝、その「大丈夫だ!」を確かめるために、
開通したばかりの東北自動車道を北上し相馬の地に入りました。

「市長、来ました!」
「そうか、来たか!」

言葉を交わす間もなく、市長とガッチリ握手を交わし何故か抱きあってました。
その瞬間から、相馬市役所内対策本部中心にカメラを据え、
市長を中心とする市職員の半年間の命の現場の闘いを追い続けました。

避難所で整然と秩序を守りながら生活を続ける人々、
瓦礫の中で途方に 暮れながらも各々の人生の断片を探し続ける人々、
黙々と遺体捜索作業を続ける自衛隊の面々、
仮設住宅建設と移転、
原釜朝市復活、
千年続く祭事・相馬野馬追にかける市民の想い、
野馬追決行当日、新しい命の誕生。

それぞれの生命の現場に立ち会う中で、ある衝動が起こりました。
この命の営みを作品にして次の世代に、未来の子供達に語り継がねばならないと。


作品のタイトルは

「HIKOBAE」

ひこばえとは薙ぎ倒された大木の幹から新たな芽が生まれることを意味します。


その作品、舞台劇『 HIKOBAE』を
2012年3月11日、米国ニューヨークの劇場から発信します!

何故ニューヨークなのか?
9・11のテロ直後に貿易センタービルに自らの命を賭して入って行った消防士達と、
海岸線で行き場を失って立往生する市民の救助に向かった消防団や警察、
瓦解した病院で水も電気も絶たれる中で、患者や災害弱者を守ろうとした医者や
看護師さん達には、明らかに共通するものがあります。

それは

【他者への献身】

そこには時代や宗教を超えた人間の徳の極みが在りました。
震災直後から今に至るまでの相馬市民のそれぞれの命の現場を、
ひとつの作品に紡ごうと考えてます。

146,858キロはニューヨークと相馬に通い詰めたことの証です。
この足跡をしかと血と骨にし、日本のHIKOBAEの瞬間を誇りをもって描きます!
期待して下さい。

塩屋さん1.JPG
写真は師走のタイムズスクエアです。

皆さん、良いお年をお迎え下さい!


塩屋 俊

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